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お客様の声

スマホでRPGゲームしながら食事されてるお客様3名。敵がヤバイとか、〇〇を倒すには、とかの会話に混じって、ちょいちょい、チャイのレベルが高過ぎ、とか極楽の分析がコメントされる。確かに、通りすがりの方に、ここは薬草屋?と聞かれることもたまにありますが、、、。胡散臭い店の扉をひらく、お客様は勇者です。極楽カリー。

泥酔福の神 プレオープン初日

普段はくだらないことばかりいっているが、今日は真面目な話だ。お前は同じ立場に立たないと、本当のひとの気持ちはわからないやつだ。一緒に泥舟に乗って沈むわけにはいかない。自分でやってみろ、明日から来るな。2013年9月、修業先から強制独立。物件探しに、開業資金、必死で大至急準備することとなる。2ケ月毎日ネット物件調べ、駅を降りて町の雰囲気を確かめるべく都内や神奈川県内を歩き回り、不動産屋を巡り内見をするも、ピンとくる物件は出てこない。諦めてもう一度サラリーマンに戻ろうかと求人サイトに目がうつる。義妹が鎌倉はどうですか、と言った。観光地だと家賃高いだろうなと苦虫嚙み潰しつつも、不動産屋に問い合わせるだけならタダだと思い直し、メールで問い合わせ。すると翌日電話がかかってきた。今、お店をやっている由比ヶ浜通りの物件が来年1月に開く、という。問い合わせたのは11月末。すぐに現場に行き、1週間寒空の下、昼から夜まで通行量調査。全然、歩いていない、さらに物件となるお店に入る人も数える程、、、、。大丈夫か、不安。あまりに往来する人数をカウントする機会が少ないので、想像で店構えをスケッチした。今となってはだいぶ面構えが変わったが、開店当初は大体スケッチ通りの外観だった。物件が良いのか悪いのか判断できず、タイムリミットも迫っていたので、伸るか反るか。思うところあり、知り合いの占い師に見てもらうと、八方ふさがり、一年先に延ばすべき、と指摘された。指摘されなくとも塞がりまくりな状況なくらい、分かってる。背水の陣、悩んだ末、死中に活を求め、やると決めた。鎌倉を勧めた義妹は当時、鶴ガ岡八幡宮で正規職員として巫女職に付いていた。今となっては鎌倉になぜ開業したのかと聞かれたら、巫女のお告げです、と冗談も言えるのだが、開業2年間は冷や汗とあぶら汗をかきっぱなし、綱渡り(これは今も変わらないが)の毎日。「恋でもなく愛でもないのに、なぜか忘れられない」。修業先の師匠のコピー。分かる人には分かるのだか、鎌倉の街並みには、どう考えても馴染まない。シックな外観が多い由比ガ浜通りのお洒落な店が並ぶなか、このキャッチコピーもあいまって、極楽は異様に胡散臭く、浮いていしまうこととなった。鍵を借りたのが1月15日、必死で開店準備をした。それから1ケ月後の2014年2月17日プレオープン。開店初日の、18時すぎ。店内のお客様は義理の父母のみ。妻も店を手伝ってくれていた夕刻、そこに店先に一台のタクシーが止まり男性が一人降りて入店。顔を見ると完全に目が据わっていて頬が赤い、呂律も怪しい。絵に描いたような典型的な酔っ払いだった。ただ英語の魚類図鑑を抱え、服装や靴はそれほど乱れていない。男性はビールを注文し、店の外装、内装、カレー屋という業態、メニューは1種類しかないこと、あらゆる方面から、いちゃもんをつけ始めた。義理の父母が隣のテーブルで座っている中で、だ。キッチンの中で、妻に「今日は開店初日だから、あの酔っ払いは福の神だと思って、決して口答えしたり、怒ったりしないようにしよう」と約束して、男性の話に耳を傾けた。1年しないうちに潰れるぞ。この辺りは年配の人が多く住むから、柔らかいナンを出して宅配サービスをしよう、俺と手を組めば、大丈夫だから。看板のキャッチコピーから恋をイメージさせる内装かと思って入ってみたら、シヴァ神の絵が飾ってある、これは破壊神だろ?お店のイメージが統一されていない。これだけツッコミ入れているのになんで店主お前は怒らないんだ、反論してみろよ?マシンガントークばりに、人をわざと怒らせようとするコメントを吐き続ける。ビールを2本飲み干し、肝心のカレーはほとんど胃の中に入っていかなかった。ただ持ち物や身なりから、決して軽んじてはいけない雰囲気。毒舌の中にも一理あり、同業者かなと思わせる視点もあったので、大人しく聞き手に徹した。義理の父母は苦笑している。なんとかやり過ごし、プレオープン初日は終わった。それから2度ほど、泥酔の福の神はやってきた。2回目も泥酔と暴言。地元の方に噂を聞くと近所の飲食店を出禁になり、うちくらいしか呑みにこれる場所がなかったらしい。2回目も、のらりくらりとやり過ごした。三度目は、暖簾に腕押しだったのか、素面でやってきて、しきりに罵詈雑言を謝りつつ、カリー美味しかったと行って去っていった。あれから3年半、泥酔福の神の予言のおかげで?、外観内観のコンセプトも全く統一されておらず、いや、むしろ混迷を深めつつ、相変わらずメニュー1種類のまま、なんとか皆様のおかげで極楽カリーは細々と営業続けさせていただいております。誠にありがとうございます、厚く御礼申し上げます。

9月の営業予定日

9月の営業予定日でございます。店休日は9/5、12、19、26、27となります。1日30食限定、ランチえ売切れた場合、夜の営業はございません。あらかじ目ご了承くださいませ。なお、ランチえ終了の場合はこちらのブログでお知らせしております。当店のトップページのNEWS欄でもご確認いただけます。極楽カリー

ガダルカナル 思い出の味

最後の晩餐に食べたいもの。今まで食べてきた中で一番思い出に残っているもの。ポピュラーな話題。美味しいとか凄い味だった、ゲテモノだったなどとはちょっと感覚が外れるが、僕の場合はガダルカナル島で食べたヤシガニのスープだ。大学時代は南米民俗音楽の演奏に明け暮れ、いまはカレー屋を営んでいるから、さぞかし初めての独り旅はインドか南米諸国かと思われているだろうが、実は太平洋の小さな「ソロモン諸島」が最初だ。地理的にはオーストラリアの右端、ガダルカナル島という名前の方が日本人には覚えられているかもしれない。当時、大学院のダメ学生だった僕は論文を書くためにソロモン諸島に3ケ月ほど調査滞在をすることになった。成田を出発し、韓国、オーストラリアを経由してソロモン諸島の首都ホニアラについた。首都は第二次世界大戦の激戦区ガダルカナル島にある。そこからさらに小さな
セスナ機で調査地であるニュージョージア島のノロという人工の漁港街に渡るのだが、まず現地の教育省の許可をもらうためにホニアラに滞在した。日本にいるときに本来なら手はずを整えるはずの調査許可だが、出発前に研究室からファクスを何度も送っても全く返事がなく、現地で取るしかないと諦めて、長期滞在ビザもないまま、とりあえずソロモン諸島に来てしまったのだ。オーストラリアからセスナ機に乗りガダルカナル島についたのは師走の頃だった。教会が運営する小さなゲストハウスに宿を定め、教育省に出かけては調査ビザの取得交渉をしていた。朝飯はパンとフルーツ、昼飯は近くの港でおばちゃん達がビニールシートに広げて売っているフィッシュアンドチップスを良く食べた。と言っても英国風ではなく、チップスは薩摩芋、フィッシュは鰹、そこに細いネギが添えられているソロモン風だ。途中で飽きてゲストハウスで自炊を始めたのだが、ある日の夜、ゲストハウスの管理人でもある教会の神父さんが夕食を作ってくれた。丼の中に蟹的なもの?がゴロンと丸々一匹入っていた。甲殻類の出汁が良く出ていて美味しい。神父さんにこれは何の生き物か尋ねると、ヤシガニだという。そしてソロモン諸島の人々はヤシガニを食べないけどね、と笑いながら、説明してくれた。彼らはヤシガニは死んだ人の生まれ変わりだと信じているんだよ、と。僕は箸が止まった。おぼろげな記憶だが、親戚の集まりの時僕の母方の祖父はガダルカナル島でWWⅡを戦い、敗戦し、帰国したと聞いていた。歴史の授業でもガダルカナル島の激しい戦いは何となく覚えていた。日本兵およそ22493名、米兵6842名の合計29000名近くの兵士が戦死している。僕はいつどこで亡くなった誰の生まれ変わりを「美味しい」と思いながら、食べたのだろう。情報だけでしかなかったガダルカナルの戦い、その傷跡は調査地に向かう途中のボートから何度も目にすることができた。大砲だか戦車だか分からないが兵器の残骸があちらこちらに60年以上経った当時も残っていた。それらを見るたびに、僕は誰の生まれ変わりを食べてしまったのだろう、と思うのだった。