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紅葉の鎌倉、お食事は

12月に入り、ようやく北鎌倉あたりも紅葉がきれいになってまいりました。

晩秋の鎌倉散策のあとのお食事は、、、、。

極楽でお待ちしております。

レレレのおじさんのモデルが仏弟子のチューラパンタカだそうです。
以下、転載。

レレレのおじさんのモデルは チューラパンタカ(周利槃特・しゅりはんどく)は・・・・
ものを覚えるのがたいへん苦手で、自分の名前すらも覚えられず、いつも人から笑われていました。兄は、弟を心配し、釈尊から聞いた教えを短い詩にまとめて、なんとか弟に覚えさせようとしますが、朝には覚えられたと思っても、昼にはもうごちゃごちゃになってしまうのです。あるとき兄は、弟を励まそうとして、「自分の道は自分で探しなさい」と突き放しました。それを聞いた周利槃特は、自分の愚かさに涙を流しながら途方にくれてしまいました。
それをごらんになっていた釈尊が言いました。「自分が愚かであることに気づいている人は、智慧ある人なのです。愚かであるのに自分はかしこいと思っている人こそ、本当の愚か者なのです。」そして、周利槃特に1本のほうきを渡して、「ちりを払わん、あかを除かん」と、掃除をしながら唱えなさいと教えられました。こんなに短い言葉でしたが、友人たちに助けられながら、どうにかこうにか、来る日も来る日も唱え続けました。自分の道は自分で探さなけらばという必死の思いと、ちりを払う、あかを除くという釈尊の教えとが重なって、だんだんと、周利槃特の心の中で、問いが熟していきました。そうだ、ちりやあかとは、私の執着の心。そうだ、丸っぽ私はちりなのだ、丸っぽ私はあかなのだ。
そうだ、私は今から、仏の眼をいただいて生きていこう。古いお経を読むと、周利槃特は天眼を得たと書かれてあります。つまり、彼はさとりを得たのです。仏の眼(仏の教え)を疑いなく受け入れて、仏の眼に依って生きていこうという曇りない決意こそ、はっきりと澄んだ、朗らかなさとりの味わいだったのです。周利槃特は、さとりを得て、賢くなったのではありませんでした。ましてや、仏法を教える側の先生になったのでもありませんでした。彼は、仏法に教えられながら、教えをわが両眼として、一生涯を生きていく人となったのでした。 誰よりも愚かだった周利槃特がさとりを得たことに、周囲が驚いていると、釈尊が静かに言いました。「さとりには、多くのことを学ばなければいけないというのではないのです。ほんの短い教えの言葉であっても、その言葉の本当の意味を理解し、道を求めていくならば、さとることができるのです。」 仏の教えは、どんな人にも、等しく、広く、開かれています。ほんの短い言葉でもかまわないのです。教えを聞いていきましょう。
参考・『ブッダと親鸞』東本願寺出版、『仏弟子の告白』岩波文庫

*****生きているから味わえる極楽カリー******
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