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ネパール・カトマンズ大地震復興活動報告(2015年7月渡航)

ネパール・カトマンズ大震災復興支援 報告書    
作成2015年8月7日 竹迫順平

●御礼
2015カトマンズ大震災復興支援にあたり大日本除虫菊株式会社様より金鳥蚊取線香660個を、日本各地の皆様から250名分の子供服を無償提供頂きました。心より御礼申し上げます。

●概要
2015年4月25日にネパールの首都カトマンズをM7.8の地震が襲い、死者8,460人、負傷者2万人、被災者800万人(ネパール総人口の3割)、6000億円の経済被害を被った。カレー屋を運営している為スパイス仕入を主目的でネパール渡航を計画する中で、震災から約3ヶ月が経つ今必要な支援は何かをカトマンズ在住のネパール人日本人の友人に聞いた。次の二点が挙げられた。①雨季・高温季を迎え水場の衛生状況の悪化におる蚊の発生②避難民キャンプの低カースト(民族的マイノリティ)の子供どもたちの衣服がボロボロ。そこで①に関して大阪の大日本除虫菊株式会社に支援物資の協賛を交渉し、蚊取り線香を無償提供していただくことができた。子ども服に関しては7/23にフェイスブックを通じて寄付を呼びかけ200名を超えるイイねとシェアにより北は宮城から南は高知・宮崎まで日本各地から計31名の方に無償寄付して頂いた。2名での渡航で総重量60kgまで飛行機に預ける事が可能で、61.7㎏の支援物資を持って7/30に日本を出発した。カトマンズ7日間滞在中7/31と8/1の2日間を支援物資の引渡しに費やした。

●支援物資・資金
①金鳥蚊取り線香660個/11kg(寄付協賛:大日本除虫菊株式会社様より)
②子ども服250枚/50.7kg(寄付:FB友人・店のお客様より)
③現金50,000円/現地通貨にして40000ルピー相当(寄付:FB友人より)

●支援先・状況
①ネパール人G氏の出身地ボダッタム(BUDHATHUM)へ蚊取り線香660個を寄付。ボダッタムは1105世帯、約6500人が暮らす地域でカトマンズから車で半日さらにそこから車では行くことができず徒歩で1時間以上もかかるという。雨季の多雨なタイミングでは車で行くことも難しくなるため雨季がもうすぐ終わる乾季に差し掛かり次第、蚊取り線香を運搬するとのこと。
②カトマンズ近郊バクタプールの避難民キャンプに子ども服と食糧を支援。在カトマンズの日本人E氏とネパール人K氏の情報収集により、中国チベット自治区との国境に近いシンドパルチョーク地区で山崩れにより全村が土砂で埋まってしまった250帯/1087人の避難民が暮らすキャンプで、野菜不足であることが判明した。K氏は継続的に複数の場所で支援活動を行っており、古着の収集や配布も行っていた。そこでK氏の支援活動に相乗りする形で、古着子ども服250枚および250世帯分の野菜(青唐辛子・オクラ・トマト・玉ねぎ)とじゃがいも260kgと豆40kgそして食用油を寄付金5万円(4万ルピー)で購入し、配布した。K氏はこの他に仮設トイレ6ヶ所を組み立てられる分量のトタン板を寄付していた。

●課題と今後の方針
今回で子ども服に関するカトマンズ大震災の支援は一度終了する。理由はふたつある。ひとつは頻繁にネパールに仕入に行っているわけではない点、二つ目は実はカトマンズでも古着子ども服や食料は入手できることが分かったからだ。日本で支援内容を質問した際は、子ども服や蚊取り線香以外にも、食料も足りていないということであった。震災から3ヶ月経った今も基本的な物資もまだ足りないのか、という思いで現地に行った。しかしカトマンズに着いてみると表面的には日常生活は戻り、食料や物資は「現金があれば」容易に手に入ることが分かった。また先述したK氏が子ども服だけでなく大人用の古着も寄付収集しており、避難民キャンプに寄付支援していることも分かった。今後どのような支援が望まれるのだろうか。震災から3ヶ月、カトマンズには物資や食料は豊富にあった。ただそれを配給する為の交通事情や支援元とのコネクションの有無で支援内容に著しい偏りがあると感じた。支援物資を輸送する道路に接しておらず、徒歩で数時間かけていかなければならない被災地は、物資輸送手段が人力に限られてしまう。また支援元とコネクションがある「有力者」がいない被災者コミュニティには、支援物資の配給は必然的に後回しで、少ない物となる可能性が大きい。カトマンズには米も野菜も服も水もある。さらには倒壊した住居を建て直す建材もある。ただそれを購入できる現金の所有程度や交通網の整備状況、交通手段の有無で被災地域ごとに復興のスピードは大きく異なる。
ネパールの国民一人当たりの年間所得は約80,000円(735米ドル・2012年時点)、月収およそ7000円である。15000円程度のトタン購入で仮設住居が1軒建つといわれているが、現地の生活レベルからすれば高額である。震災直後に世界各国から支援物資が届いたが、いまだに空港には未配給の仮設テントがあり、とある避難民キャンプには米が食べきれないほど支援される一方、野菜不足のキャンプもある。また支援物資が「自動的に」やってくることで、いままでの暮らしよりも「楽」になり、働かなくても良い、と勘違いして受け身的な被災者もコミュニティ内に出てきているのも、問題になってきている。山岳地帯が村ごと埋まって、都市部の空き地や個人の敷地(緊急的にキャンプ設置地帯として個人から一時提供された)に住む人々と、元から暮らす地元民との関係性も今後どのようになっていくか大きな課題である。また子ども達の教育への影響も早急に対処すべき課題だ。いまだ、仮設テント内で授業をしている学校もあった。寒い冬を迎える前に何等かの対処が必要だ。さらに義務教育制度がないため学校教育は有料で、すでに学費の滞納も起こっていると聞いた。本当に物資が不足している地域はいまだに点在しているだろう。しかし日本にいながら、そのような地域に支援を継続的に行うことは容易ではない。海の無いネパールは、支援物資を送ること自体が費用がかさむ、というハードルもある。そこで提案したいのが、ネパールに観光旅行に行くことである。ネパールは重工業がなく農業や民芸品の輸出、そしてヒマラヤトレッキングを中心とした観光業が重要な産業となっている。震災の余波で外国人観光客は激減しているという。世界遺産となった倒壊・破損した建造物やトレッキングロードはいまだ修復中であり、そのめどは立っていない。危険が無いとは言い切れないが、それは震災の有無に関わらず言えることである。今回の旅の滞在費はスパイス仕入費を込みで総額約8万円を使った(寄付金5万円は含まない)。ネパール人1人の年間所得と同額をネパールで使い、私と妻は旅の満足感を得ることができた。ネパールに遊びに行くこと自体も、ひとつの復興支援と言えるだろう。実際に行ってみて各自が行える支援やこれからの支援の在り方を探ってみてはいかがだろう。

●余談 ネパールの未来
 復興以前にネパールは、統計上世界の貧困国と位置付けられている。国連の定めた貧困率 (一日1.25ドル以下で生活する人口の割合)が42%の国だ。インフラが未整備で、毎日停電が起こり、飲料水は濾過必須。電気や水は大規模工業を行うための基盤環境だが、それが不安定である。農村部では貨幣獲得が難しいため、都市部に出るが都市部の仕事もなく、若者は海外へ出稼ぎ・留学をして現金獲得している。マンパワーの流出が問題となっている(総人口2600万人中、300万人、つまり国民の約10%が国外に出稼ぎ。日本は2012年だけで1万人のネパール人に渡航ビザが許可されている)。日本企業が現地法人を立ち上げようとしても、ネパール国憲法が未制定のため保障が無く事業展開できない状況だ。仮に諸条件が整ったとして、世界各国と同じ「進歩」路線を踏むのなら、インフラ整備、工業化の後、公害・環境汚染は目に見えている。ネパールの明るい未来。資料最後の写真はカトマンズから車で1時間ほどの場所にある農村風景だ。この風景を基軸に、インフラ整備・市場経済活性・環境保全を両立させる開発とはなんだろう。先進国が反省している経済発展の「副産物」、を意識しながら、なりたい未来を描くのはそう難しいことではない。今、海外に流出しているマンパワーが戻る時、それが始まるのではないだろうか。最後の後発国だから、最先端の国づくりができる可能性をもつ、と信じている。

文責 :極楽カリー 竹迫順平 鎌倉市由比ガ浜3-9-47