LUCY IN THE SPICE WITH DIAMONDS
LUCY IN THE SPICE WITH DIAMONDS。
そもそもスパイスも植物由来のドラッグもなぜ「効く」とされるのか。
良くエスニックな服や小物類のモチーフとされる「蓮」と「きのこ」から、その背景を探ってみたいと思います。スパイスのことまでたどり着けるのか・・・。
長文になりまmす。
●知識の受信
「それぞれの民族が文化を持って生きることにより、人間全体の『いのち』が続くのです。文化はその民族の『いのち』です。文化は結果ではなく経過ですから、ずっと続き、いまでも生き続けているのです。」「文化は死んだ結果ではなく、生きている経過なのです。」(春日大社・故葉室頼昭宮司)。「知恵が文化だというのは、それが経験の積み重ねからしか生まれてこないからです。知識は、いろんなものを発見して派手な話題にもなりますが、知恵は発見されるものではなく、伝承されるものなのです」(永六輔)。
2009年1月、朝日放送がボリビアを取材したある番組でコカの葉を噛む場面を放送したのだが、近畿厚生局麻薬取締部が麻薬特例法に抵触する恐れがあるとして同社は口頭注意 された。コカの葉が含むアルカロイド成分が麻薬コカインの原料だから、という理由でだ。『COCA NO ES COCAINA』。ボリビアのポップミュージックで良く耳にした曲、意味はコカの葉はコカインじゃない、というスペイン語。実際にアンデスではコカは民間で広く神聖な植物、治療薬として使用されている。長時間、過酷な労働を強いられる鉱夫が疲労や空腹を忘れるために、あるいは高山病の辛さを緩和するために口にしていた。またシャーマンが祈りや占いの際に、地母神パチャママにコカの葉をささげている。今回の事件は日本政府がボリビアの文化を否定した、とも受け取れる。古代の知恵が、近代の知識に傷つけられた一例だ。コカだけではない、メディア各種はじめ知識の偏重や歪んだイメージ操作が、私たちを知恵から遠ざけている。
1960年代、ヒッピームーブメントで「再注目」されたエスニック。ロータスやマッシュルーム、ガンジャ、カクタス、ペイズリーのモチーフが世界に溢れた。それらの植物を神聖視していた古代の人々が、その様子をみたらいったいどんな思いを抱くのだろうか。ファッションとしての蓮・きのこのモチーフを、デザインではなく知恵の視点から眺めてみよう。
●蓮
蓮(NELUMBO NUCIFERA)はインド亜大陸とその周辺地域が原産とされている。ヒンドゥー教の様々な場面でロータス・蓮は登場する。クリシュナ神の美称は「蓮の目を持つ者」。ビシュヌ神のへそから蓮が生え、開いた花冠からブラフマー神が生まれる。ラクシュミーはパドミニ(蓮の女)の象徴。インドに溢れる神々の絵はそこかしこに蓮が描かれている。バラ色の蓮は太陽、繁栄。青色の蓮は月とシヴァ神の象徴だ。泥から清らかな花咲かす姿を受け、ヒンドゥーと仏教の混合する世界に登場する蓮は、濁った現世から超越した清らかな世界の象徴とされる。泥は輪廻転生、蓮は輪廻から解脱した仏陀の本性であり、釈迦牟尼の座る蓮座。曼陀羅に描かれる際は、宇宙の調和を示す。まっすぐに伸びた蓮の茎は、世界をささえる世界樹であり、男根を意味する。茎の上に咲く花は女陰であり、蓮自身は両性具有の完璧な常世の象徴とされる。両性具有は天之御中主のごとく男女の性を超えた、原初の独り神に通じる。ブルーロータス(アフリカスイレン、NYMPHAEACAERULEA)はエジプトのナイル川原産とされる。別名セイクリッド・ロータス(聖なる蓮)。古代エジプトの創世神話は、まず初めに混沌の海ヌンがあり、そこにブルーロータスが咲き、つぎに花の心臓から太陽神アトゥムが生まれたと語られる。この神話でも蓮は独り神のごとく、神を産むのだ。紀元前4000年ごろに栄えたナイル河上流の上エジプト国のシンボルは蓮、下エジプト国のシンボルはパピルスであった。ルクソールのカルナック神殿の石柱に刻まれた蓮紋は、日本の皇室の菊紋に似る。紀元前3500年に上下王国は統一され、シンボルも蓮とパピルスが合わさったかたちになった。この合体したシンボルはギリシャ、中東、中央アジアを経て、シルクロードを通り、日本でいう「唐草模様」となった。
蓮が聖なる植物とみなされる理由は、シャーマンが蓮に含まれる化学成分を儀式で用いるところによる。蓮はアルカロイドを含む。アルカロイドは窒素を含む化合物で、毒にも薬にもなる薬効成分の総称だ。花は乾燥させて喫煙、つぼみは茶、根茎は生や加熱して食することで体内に摂取していた。蓮の種の薬効は、慢性の泌尿器疾患、前立せん肥大、糖尿病、便秘解消、精神高揚とされる。ブルーロータスの花と根茎は、向精神活性作用を持つアポモルヒネ、ヌシフェリンを含む。メキシコでのホワイトロータス(NYMPHAEAAMPLA)はケツァショチアカトル(QUETZALAXOCHIACATL)と呼ばれ、強力な幻覚作用を持つ強壮薬として使用されていた。学名のケツァルはそもそもケツァルコアトルという神の名前に由来し、ニンファエアとは妖精を意味する。蓮は神とつながる植物なのだ。
●キノコ
中南米とアフリカに多く生息するシビレタケ(PSILOCYBEVENENATA)。悪友は学生時代、マジックマッシュルームでバッドトリップして、窓から飛び降りようとし、その衝動や誘惑でひどい思いをしたことを語ってくれた。大麻同様、違法薬物に、指定され、違法所持で摘発される芸能人が報道されるなど、決して現代日本では良い印象は持たれていない。ヒッピー世代の快楽主義のシンボルのようになっているキノコであるが、古代の知恵では、キノコは精霊の王であり、決して人間主体の快楽や遊び目的で接するものではないのだ。
2008年11月に僕はメキシコに飛んだ。マサテク族の呪術師イネスを訪ね、シビレタケ(テオナナカトル・神の肉という意味のマサテク語でのシビレタケの名称)を用いた儀式を受けた。イネスはメキシコ中の聖母マリアに加護をもとめ、テオナナカトルに僕の心と臓器、全ての細胞の回復を祈ってくれた。サイケデリックとはそもそも「心をあきらかにすること」を意味する。幻覚や幻聴といった作用ばかりが取りざたされ、またそれを体験することを目的に神聖植物は摂取されるようになってしまった。蓮やきのこといった聖なる植物を摂取する真の目的は、「神」とつながることである。アステカの花神ショチピリの石像はキノコと花蝶の彫刻におおわれていた。ショチピリは愛と踊りの神であり、魂を支配する。シビレタケの薬効成分はシロシビンとシロシンというアルカロイド。中枢神経系のセロトニン受容体に作用し、幻覚や幻聴などを引きおこし、意識を覚醒させる。
赤い傘に白い斑点模様のベニテングダケ(AMANITA MUSCARINA)はシベリア、ベーリング海峡周辺が原産とされ、アジア、ヨーロッパ、中南米に広く分布する。古代インドの聖典『リグヴェーダ』第9巻には神酒ソーマの賛歌が120曲もあり、雷の神バルジャニヤの子としてソーマを讃えている。民俗植物学者R・ゴードン・ワッソンは、ソーマの正体はベニテングダケであると指摘する。聖なる酩酊をもたらす蜜液は、人々の移動とともに、ベーリング海を渡った。グアテマラでもやはり雷と関連づけられ、ベニテングダケは、稲妻キノコ(カクルハ・イコクス)と呼ばれ、儀式に用いられた。薬効成分はイボテン酸で、乾燥するとムッシモールに変化する。イボテン酸を摂取すると、グルタミン酸受容体に作用して、興奮状態を起こし、ムッシモールを摂取するとGABA受容体に作用し、脳が不活性化する。脳の中央神経系が一度に活性化と不活性化し、複雑な幻覚作用を起こす。原産地とされるシベリアのシャーマニズムにおいて、異次元への旅にキノコはかかせない。メキシコで僕が出会ったジェニファーという女性から、サンタクロースは実はベニテングダケだ、という珍説を聞いた。スイスでは冬至にモミの木の下にベニテングダケを探しに行く風習があるのだ、という。ベニテングダケの赤と白の外見は、そのままサンタクロースの外見となり、摂取して意識がトリップした状態が「空を飛ぶサンタクロース」へと暗喩化されたのだ、そうだ。日本名は赤い天狗のような様相に由来する。『今昔物語』第28巻の28に、山奥で道に迷ったきこり達が、踊り狂っている尼さんたちに出会う話がある。きこりがなぜ踊っているかと尼さんに聞くと、道に迷い空腹に耐えかねて道端のキノコを食したところ、こうなってしまった、とのこと。結末はきこりたちも、死ぬよりましと、キノコを食べて踊り狂ってしまう。彼らが食べたのは、シロシビンを含むワライタケのようなキノコではなかっただろうか。
●知恵の光
蓮やきのこは原初、神とつながるために摂取された。神の草マリファナもサボテンも神とつながる成分を有する。では、そもそもなんのために神とつながったのだろうか。アルカロイド系は摂取量や仕様を誤れば死に至る危険なものである。グラハム・ハンコック(『神々の指紋』著者)は、(人間界ではない)異次元にいる知的な存在(神、精霊、妖精、半獣半人、サムシンググレート)と交流し、知恵や試練を授かるためではないだろうか、と推測する。三万年前に突如として開花した洞窟壁画が、幻覚体験中のストーリーを表しているのだ。無数にある植物の中から、特定の作用を及ぼす植物を判別し、儀式にとりいれたれるまで、どれほどの体験を要したのだろう。命がけの体験の積み重ねで、知恵となったのだ。グラハムはまた、幻覚植物が文化や芸術を人間に授けた可能性がある、と指摘する。冒頭でのべたコカの葉騒動にあるように、本来の知恵は忘れ去られ、あるいは隠されてしまっている。シャーマンの正しい導きのもとでなければ、命を失うおそれのある神聖な存在として畏れ敬うことをおろそかにし、うわべの快楽を求めた自己中心的な人間のために、悪のレッテルを張られている。トランスやサイケリックは遊びやファッションだけではない、その聖なる側面を忘れると滅びの毒物となる。敬いの向こうに、知恵を授かる光が見える。
●ではスパイスは・・・・。
極楽カリーを召し上がれ。
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極楽カリー
鎌倉市由比ガ浜3-9-47