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エジプトのハトホル神殿にて

僕は笛を吹くのが好きだ。18歳で南米の笛に出会い、24歳で南米ボリビアに笛修行に飛び、32歳で素晴らしい師に出会い、日本人として何ができるのか模索するなか旅する折に自然の中で笛を吹いている。これまで、ご縁がつながり、4000メートルを超える南米の高地、富士山や白山の山頂、沖縄の久高島、天河大弁財天社、メキシコのテオティワカンにある太陽のピラミッド、ガンジス川など世界のあちこちで笛を吹く機会に恵まれた。

妻とエジプトに行ったときも、もちろん笛を持参した。2008年に読んだ『ハトホルの書』で古代エジプトの豊穣と音楽の神ハトホルの存在を知り、祀られている神殿を訪れるのが夢のひとつだった。カイロからルクソールまで飛行機で1時間、空港に降り立つとホルスの神が描かれた機体の横には、11月の満月がぎらりと光っていた。翌日、ルクソールからローカル線の汽車にのり、80分かけてキナ駅に着いた。ハトホルの祀られているデンデラ神殿までは車で20分ほどの距離。駅を出てtaxiを探していると、小さな乗り合いバスの兄ちゃんが声をかけてきた。「どこへ行く?俺は英語が話せる、助けてやろうか?」と。英語が通じるのはありがたい。デンデラへ行きたいと言うと、この乗り合いバスに乗れ、と合図してきた。隙あらば小遣い稼ぎをしようとするエジプト人の癖にはちょっとうんざりしてはいたが、デンデラへ参るのにこれも何かの縁だ、と感じて妻と乗り込んだ。イスラムの国なので、バスは男女別々の席、妻は後部座席に乗り込み「大丈夫?」と目で合図してくる。なるようになる(はず)。バスは方々で乗客を降ろし、とろとろと走る。20分などあっというまに過ぎた。兄ちゃんに、いつになったらデンデラに着くのだ、と聞くと、まあ、ちょっと待てと答える。バスの終点で全ての乗客が降り車内には僕と妻、ドライバーとこの兄ちゃんだけになった。バスのチャーター料金の交渉がはじまった。あらかじめtaxiの料金を知っていたので、同額でどうだ、というとあっさりとOKした。ちまちま稼ぐより割りが良いと先方にとっても良い話だったようだ。兄ちゃんの名前はモハメドと言い道中たわいもない会話をしながら、デンデラへ到着した。

神殿の入り口に着いた、モハメドは入場券売り場で3人分と言っている。おいおい、君の案内はいらないよ、チケットは僕と妻の2人分で良いというと、ちょっと悔しそうな顔をした。さあ、神殿の中にはいろう。神殿前にはコンクリート作りの建物があり、セキュリティポイントで持ち物検査を受けた。僕のリュックのなかには60センチの竹筒でできた笛ケースがおさまっていて、リュックはいびつな形になっている。成田はじめ数々のポイントでいちいち説明してきた。デンデラでもやはりひっかかった。竹筒を見てこれはなんだ、と警備員が質問してくる。日本の伝統的な横笛だと答えると、警備員が意外なことを言ってきた。「吹いてみろ!」。 えっ、、、といいんですか? 最初は断りもなく神殿内で勝手に吹いてしまおうと考えていたのだが、ここで吹いて警備員の連中から気に入られれば御墨つきをもらうようなものだ。ケースから笛を取り出し、6人のエジプト人警備員が控える金属探知機ゲートの横で吹いた。拍手喝采、気に入られた。さあさあ、入場しろ、最初に神殿の説明ムービーもあるから観ていけ、コロッと態度が軟化した。ムービーではハトホルはJOYFUL MUSIC、喜びの音楽の神であると説明されていた。特別な神官がハトホルの神殿のなかで鈴に似た楽器を鳴らしているシーンがとても印象的だった。

説明ムービーが終わり、いよいよ神殿内に入った。柱のひとつひとつがとてつもなく大きい、ギザのピラミッドでも感じたのだがこの巨大さは人間が作ったものではないと唸ってしまうほどの迫力なのだ。巨柱の四面にはすべてハトホルの顔が彫られているのだが、多くはムスリムの偶像崇拝禁止の影響を受け削られている。首だけになっている柱像も神殿の庭にごろごろ転がっている。神殿内部はすべてヒエログリフが彫られており、いくつもの部屋に分かれていた。新月の祀りに使う部屋、新年の祭りに使う部屋、すべてヒエログリフのメッセージで埋め尽くされている。意味は分からないが、頭がくらくらしてきた。全ての文章を理解するのにどれほどの時間がかかるのだろう。ぽかんと妻と眺めているとガラベーヤを着たおじさんが手招きしている、地下の部屋に案内されるとそこには巨大なフィラメント、電球をもつ不思議なレリーフがあった。地上に戻り奥へと進む。上を見上げると天空の女神、太陽を産むヌト神のレリーフがある。われわれ日本人と同じく、古代エジプト人も太陽信仰をもっている。太陽神ラー、アマテ「ラ」ス、「ラ」-マに、アッ。「ラ」ーフ。「ラ」は聖なる音のひとつで神の名前に組み込まれていることが多いと何かの本で読んだことを思い出す。さらりと神殿内を巡って、さあどこで笛を吹こうかと思案する。ムービーでは神官が神殿入口の大列柱に鈴の音を奉納していたが。ちょうど入口の横に僕と同年代の研究者風の男性が立っていて、彼にハトホルにささげるため笛を吹きたいのですが、どこで吹けるでしょうか、と尋ねた。彼は微笑みながらなんと、補修工事で立ち入り禁止のバリケードが立っている区域内に案内してくれた。さっきセキュリテイで笛を吹いていたことを知っての微笑みなのか?補修エリアの端までくると彼は天井を指さした。見上げるとターコイズの美しいハトホルと太陽が描かれたレリーフが見える。男がぼそりと「ここならハトホルに届く」と言った。なんてラッキーなんだろう。僕は竹筒から笛を取り出し、呼吸を整える。笛を唇につけ、ハトホルへ。