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鎌倉と極楽カリーのこと

運命の歯車の、歯が欠けたのかな、と疑った時期のこと。止むに止まれず、何の因果か、自分で独立してお店を開かざるを得ない状況になったとき、「京都」という可能性がありました。東日本大震災の後、友人が沖縄に移住したり、京都や関西方面に引っ越したりと続いたのです。また中期「未来予測」では関東に再びの地震や放射能公害などの観点からも、東京から京都へ首都移転、経済の中心も大阪へ、などという話も頭の片隅にあったので、根拠もなく、西へ意識が向いていた時期もありました。
 でも2017年現在、関東に残っていることが結果として「今は」良いのだと思っています。人の一生懸命な生活が、地震や災害を鎮める、んじゃないかなと、夢想というか希望的妄想をしています。もちろん、西や南に移住できる人はするのも良し。賛否両論ありますが、どちらでもなるようになるのだと。相撲の力士が四股を踏むように、関東の人々の生活が湧き上がる災害の芽を摘みとり鎮めているように思ったりしています。何か特殊な儀式や踊りや奉納や精神世界的なことをしなくても、当たり前な毎日を過ごしていくことが、平穏無事な世界を存続させる一番の秘訣なんじゃないかなと、思うのです。だから毎日毎日同じ作業をする極楽での当たり前の1日も、決して当たり前じゃないミラクル。日々に忙殺されて忘れがちだけど、ふとした瞬間に冷静になれると、噛み締められるありがたさ。
 どうして鎌倉でお店を開いたのですか、とたまに質問されます。お店を自分で開くにあたり、都内や神奈川県内で物件探しをしたのですが、鎌倉は全くそのエリア外でした。希望する条件が合わず、諦め掛けていた時に義理の妹が「鎌倉はどうですか?」と言ったのです。正直、すごく家賃が高いと聞いていたので躊躇しました。しかし、他の土地で探し続けていても、物件が見つからず、非常に切羽詰まったタイミングでしたので、問い合わせするだけならタダだと思い由比ヶ浜通りにある不動産屋さんにメールしてみたのです。そしたら、翌日に返信がきて、不動産屋さんが今のお店の場所が貸しに出ると教えてくれました。すぐ見に行きました。家賃も広さも希望より高く、広い。12月の寒空の下、1週間店の外で通行調査などしましたが、昼も人はまばら、夜などさらに人通りが途絶える閑散としている。悩みました。ただ店を開くか、もう一度サラリーマンになるかの瀬戸際、伸るか反るか。どんな場所かよく分からないまま、借りることを決め、店を開いたのです。義理の妹は鎌倉のとある神社で正規職員として巫女職についていたことも決めた理由の一つでもあります。冗談半分、半分本気。「巫女のお告げなら、上手くいってもそうじゃなくても、仕方ない」と割り切れた部分もありました。それが今の極楽カリーのスタート地点です。
 鎌倉の地元のお客様から、こんな話を聞いたことがあります。「鎌倉に住みたい、商売したいと思って住処や店を探し続けても数年かけても見つからない人もいるし、反対にスッと決まる人もいる。鎌倉という土地が、人を選ぶのよ。」う〜ん、なんとも上から目線なコメントですね、などと感じたりもしたのですが、極楽は運よく?由比ヶ浜にご縁があったようです。なんとかお店を潰さずにギリギリですが、商売続けさせていただいております。
 今は違いますが、鎌倉にひっこしてきた当初は大町の八雲神社の近くに住んでいました。この神社とも不思議なご縁がありました。学生のとき、僕は9ヶ月南米で暮らしていたことがあるのですが、成田から南米に飛び立つ時、見送りに来てくれた大学のサークルの後輩からもらったお守りが、なぜか、この八雲神社の瓢箪のお守りでした。南米から帰国後、ちょっと思い出して鎌倉のこの神社を訪れたのですが、小さなお社だな、くらいの記憶しかありませんでした。それから更に10年近く経ち、まさか自分が八雲神社の近くに住むことになるとは全く予想もしていなかったです。お店の物件探しと住まいの物件探しを両方同時にしていて、どちらかというと住まいの方にまで、精神力を注げなかったのだと思うのですが、八雲神社近くのその住まいに、引っ張られてしまったのでしょう。物件を選ぶ時は心身ともに健康な、ベストな状態の時が良いですね。800年の歴史がある土地は、人の営みを色濃く記憶しているから、悪い記憶に引っ張られないように、強くあることも、未然に防ぐ防御策でもあるのかな。