虚広告
虚広告
僕は会社員だったころ3年ほど女性ファッション雑誌に広告を出す仕事をしていたことがある。無論僕にコーディネートやスタイリスト、流行を先取りする能力は皆無でそれらは別の部署の専門に任せて、僕自身はきわめて事務的な契約や予算配分、出版社や雑誌編集長とのやりとりがメインだった。年間◯千万の予算で、純広告やタイアップ広告、記事広告、一本◯百万の広告を如何に効果的に打ち出すか、実に性格的には向いていない(興味が薄い)業務をしていた。宣伝の一環で1000人規模のファッションショーをした際も企画書の段階から関わり、華やかなステージの舞台裏の生々しさも知った。見えない部分で動いている人の如何に多いことか。しかしテレビや新聞を一切見ない人間がメディアにかかわる仕事をしていたのだ、そういう意味ではダメ社員だった。ある有名な芸能人に広告に出てもらうため、出版社の編集に事あるごとにその旨取計らってもらえるよう頭を下げ、媚びた。仕事の成就を妨げるプライドや見栄なんて一銭の得にならない。物を売る商売をしている会社でイメージやブランド構築なんて雲を掴むような広告業務なんて、商売第一の雰囲気の中では肩身が狭く、何が何でも一度は派手な花火を打ち上げねばと切羽詰まるほどに、社内の目が冷たく感じられたのだ。甲斐あって企画は実現したのだが、会社を辞めて数年後その芸能人がスキャンダルで干されてしまったのを知り複雑な思いになったこともある。自分の店がテレビに出てごく短期間でちょっと有名になり40歳以上の世代に未だに及ぼすテレビの恐ろしさも改めて知らされた。自分の小さな店が知られたことよりも、まだテレビを見ている人がこんなにいたのか、と愕然としたのだ。10年ほど前、キューバに旅行に出かけた時、街中に広告が一切ないのにびっくりした。社会主義国だからだろうが、本当にすっきりしているのだ。また海外で非アルファベット、非漢字文化圏を旅すると全く文字が読めないからとまどう半面、脳が意味を理解する行為を停止するから自分の知りたい事や見たい事に集中出来て気持ち良く爽快に過ごせていることにはたと気が付いた。そんなクリアな脳の状態から日本に帰国すると、見たくない、聞きたくないのに視覚聴覚に忍び寄る広告やメッセージが余りに多いことに驚愕する。特に電車内はまるで宣伝の拷問だ。無意識に脳がそちらに引っ張られているから余計なエナジーを使ってしまい知らず知らずに疲れている自分がいる。街中を歩いているだけで相当な意識の浪費をしている。都心のビル群を歩けば看板やモニターばかり、青空は欠片ほどしかない。勿論、僕もメディアの恩恵を受けて商売させていただいているから全否定出来る身分ではないし広告業で食っている会社や生活をしている個人事業主も沢山いるし彼らがセンスを発露させて魅せる良い広告には今も感動する。どんな内容の広告でもカメラマンやライター、デザイナーやモデルなど様々な人たちが苦労して作り上げているのも舞台裏を知っているから少しは分かるのだけど、日本中に溢れる広告そして生み出される流行はほとんど全てお金で出来ていて、どれだけの人びとが「踊りたくないのに踊らされている」のだろうかと絶大なるメディアの力を想像すると胸が詰まる。2006年に僕はテレビを見るのをやめて12年経った。石器時代メディアとはおさらばできたがスマホのニュースサイトやSNSに刷り込まれる見たくもない広告は相変わらず影のように僕を追いかけてくる。通信新世界5G時代にVRが当たり前になったらきっと旧人類の僕の脳みそは情報量の多すぎる立体広告に圧倒されて即パンクするだろう。いまでさえ情報過多なのに。今夜みたいに頭がいっぱいで破裂しそうになると僕は白紙に向かいペンをとる。