NEWS

ポストコロナの人間の有様

ポストコロナを生き延びレイワ・ルネサンスを生み出す「ホモ・カオス(渾沌=泥の人)」化の提案

定義した瞬間にその定義に当てはまらない事象が出てくる。今と定めた瞬間にそれは過去となり、今は捉えられない。禅問答の様だが、2020年以降に急速に広がる人間の有り様を「ホモ・カオス(渾沌=泥の人)」と提唱したい。20世期までの文化相対主義、多様性主義とその反動の排他主義、さらに極近い未来に現れるテクノロジーによる強烈な管理監視の元、格差社会の頂点に君臨する「ホモ・デウス」的なトランスヒューマノイドの予感や、自立性溢れるように表面上は見えるティール組織の概念に至るまで、様々な人間の有様が2019年までに提案されてきたが、2020年年明けから始まったパンデミックにより見事に瓦解あるいは、強制的な思考停止に陥ってしまい、人類社会はある種のカオス状態にある。群れる、接触するという人類の本能に近い行動が制限されてしまったのだ。パンデミックの要因たるウイルス自体も、生物と無生物の狭間にある曖昧な存在であり、宿主を攻撃(病気化)させつつも、長期的にみれば共生進化させる、という一見矛盾に思えるカオスな働きをなす。歴史を見返すとパンデミックが起こる度に人類社会はカオスに陥るが、暗黒時代が永遠に続くわけでもなく、絶滅する訳でもなく、必ず科学やテクノロジー、学問やヒューマニズム、革新的なライフスタイルなど光の時代が訪れている。2020年4月現在、今はパンドラの箱が開きあらゆる厄災が世界中にばら撒かれているように見えるが、箱の底には「未来」という希望がある。新たな光の時代を作るのは、今のもがき苦しむ私達に他ならない。先述したホモ・デウス社会になる確率はとても高いのだが、そこは5Gを基盤とした情報通信テクノロジーによる強烈な管理監視社会で、今より激しい格差社会になると予想される。僕はこれが嫌だ。テクノロジーと理性、人工知能やビッグデータから不用と判断される者や事柄が溢れる事を危惧している。当面は、ポストコロナのカオス地球を生き残らねばならないのだが、そこで心性として提案したいのが、「ホモ・カオス(泥の人)」という視点だ。ここで用いるカオスは、無秩序や混乱では無く渾沌を指す。渾は混ぜる、濁る、広い、大きい、湧き出る、全てひっくるめるを表し、沌は万物が成立する前のはっきりしない状態を表す。渾沌の由来は、老荘思想の寓話に出てくる、得体の知れない顔も鼻もない神である。ホモ・デウスの、ギリシャ神話のロゴスやフィロソフィーを唱える理智的な人間味あるゼウスとは対照的な、まさに泥のような神が渾沌である。渾沌のイメージとしては、創成期のこれから原始生物が生まれようとしている、全体が泥のような地球だ。捉えどころがなく、不定形で濁っているが、温かく排他せずリキッドで居心地が良い。2019年までは大量生産大量消費、1を100にするあり方だったが、ポストコロナでは、ゼロを1にする経済や産業がより重要ななるだろう。理性や法律やこれまでの常識で割り切れない、グレイゾーンだからこそ生まれる社会の形やアイデア、新しいビジネスの数々。それらは、カオスな泥のような社会状況から有象無象に発生してくる。なによりも自分が何かを生み出せる(あるいは、生み出さねばならない状態に一時的になる)と気づいた人たち、そして、生産活動に従事しがたい状況にある人たちも、同じ「カオス=泥」であると捉えられる渾な心の器を宿す人たち。泥は分断できないのだ、幾ら囲いを設けても、染み出し広がり繋がる。更なるパンデミックや自然災害はこれからも人類は直面し続けるだろう。右往左往しながらも、理性だけに頼らず、感情を揺さぶられながら、身体性や肚、勘を働かせる人、これが今僕が願うポストコロナから次の光の時代レイワ・ルネサンスにバトンタッチをする、全地球人が目指す「ホモ・カオス(泥の人)」の有様だ。

2020年4月16日