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神仏に頼むこと

神仏に頼む事 

身近な人が弱った際、己の気力が充実していれば一人ならサポートできる。しかし時として一度に周囲がバタバタと倒れ、己一人では時間も体力も足りず支えられない窮地に陥る時がある。気力が削られてくると己も倒れかねない。そんな時、素直に謙虚に、神仏に頼むのだ。例えば千手観音様は千人を助けようという気魄が見える状態、尽きぬエネルギーが溢れていれる御姿だ。人智を超えた神仏のエネルギーをお借りして、一人では背負いきれない物事に立ち向かうのだ。お金持ちになりたい、彼氏が欲しいといった上っ面のスピリチュアルブームや形骸宗教の影響で、謙虚に寺社に参り神仏への手を合わせる事の本筋が歪められてしまった。欲まみれの想念は魂を曇らせる。その曇りを取り除く処方箋は謙虚さと感謝だ。もちろん現世利益も大事だし神仏は叶えてくださる事もあろう。手(エネルギー)を貸してくださる尊い存在はいらっしゃる。困難の際にだけ頼むより、無難の際に折につけ感謝の心で手を合わせ心をつないでおく事は決して無駄ではない。神仏だってエネルギーは枯渇する。人間の感謝の思いは神仏にとってなによりのエネルギーチャージだ。人間だってお願い事ばかりされたらうんざりして疲れる、それと同じだ。人間の頼みを無言で受け取って下さる神仏が、日本には沢山いらっしゃる。神仏だけでなく、ペットや野鳥、獣も木も花も土も巌も水も火も風も人間が仁義をきれば元来は助けて下さる存在だ。信仰や宗教、精神世界やオカルトに疎くても全く問題ない。見えたり聞こえたりしなくても良いしいたずらに霊能力を望む必要もない。無言で向き合って下さる神仏、そこから己の内に響く静寂と安心が答えだ。謙虚さと素直さで世界の理がピンとくると、己の心の柱に神仏は成って下さる。誰の心も神仏そのものの発露である。家族や友人、身近で苦しんでいる人たちを助けたいというあなたの思いは、神仏の思いと同じ。心を定め手を合わせれば、自分で思ってもみなかった現実を動かす力がきっと湧いてくる。救われなかった、叶わなかった、助からなかったと神仏を他責する限り、その人は変わらない。結末は人間と神仏の共同作業、誰にも分からないからこそ手を合わせるの