
近況報告2022.6.5
1995阪神淡路大震災やオウム事件で揺れうごくなか10代を鹿児島で過ごし高校の担任だった生物の先生に憧れ、なんとなく教師になりたくて1997筑波大に入ったのだが強い信念もなくバブル後の就職氷河期で真っ当に社会人になる勇気もなくモラトリアム先延ばしで大学院に行きそこでも行き詰まり南米に長期滞在、学校も中退し縁あってアジアアフリカ中南米の民芸品輸入販売会社に入り妻と出会い2011を契機に成り行きからカレー屋に関わるように2014年に鎌倉で店を開き2022年にインスピレーションで日本で国産クミンを作ってみたくなり色んな方にお願いし今なぜか集中的に行き来し始めた群馬行きのバスの中でこれを書いている。僕は小心者で先行きが分からない事がワクワクよりも不安に感じる性格かつ知りたがりなので占いや未来の自分を見通せる方に話を聞くのが好きなのだが知らない方が良い事もあるし、言われた内容が腑に落ちるようになったのはある程度自分が経験を重ねてからだ。20歳の時は南米アンデスの音楽演奏に没頭していて世界中を旅したいなんてイージーに夢を抱いていた。30代はひとかどの何者かになりたかったけど既存の社会に居場所がなく組織への帰属感も薄いままでもがきながら旅したり人にあったり本を読み漁ったり飲食店で見習い的な事したり苦しい時期が続き36歳で成り行きで店を構えることとなり今に至る。もし20歳の自分にあなたは40歳あたりでカレー屋になり更に国産クミン栽培にチャレンジします、と占い師に言われたら、はい分かりました、と素直に信じただろうか。天邪鬼な僕はその道は進むまいと意固地になっていたかもしれない。いま過去の縁や経験を掘り起こし、20歳の時には全く想像もしていなかったクミンを日本で作ろうという運命?の川のなかにドボーンと飛び込んでしまった。先日、ここでもがけば沈むから、脱力して委ねたら、と人生の先達からアドバイスを頂いた。空也上人も身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれとうたっている。身も店も捨てるつもりは無いが、何か大きな流れに巻き込まれていて、争わず委ねるか、と思えるようになってきた。きっと30代では抗っただろう。一応色んな経験を重ねピンとくるか来ないかの精度を高めてきた44歳という年齢だから、仕方ないか、任せるか、委ねるか、と自然と力まずに感じられるようになってきている。抗う若さやガッツやがむしゃらさが無くなってきたのもある笑。surrender、あるいは僕の好きなインシャッラー、という言葉を最近はマントラのように心中でつぶやく。相変わらず先を知りたがりであるけどそんな自分は、分からないから、知らないからこそ、何かを掴もうと自主的に活動するし、他力本願で委ねたりと、運命の川を浮かんだり沈んだりしながらも流れてきたんだろう。思いもかけなかった自分にこれまでもなってきたのだから、これからの20年、60歳くらいの自分はまた、今想像もできないような何かをやっているんだろうなあ。